[JCFメンバーのよもやま話 その1]

こんばんは

京都 左り馬 井上恭宏
www.hidariuma.com

 京都の新京極にある化粧品店「左り馬」の店主井上です。私は、昭和30年生まれで、よちよち歩きの時から店の隣りの映画館(京都花月)が遊び場でした。昔映画館がたくさんあった新京極商店街も、映画館が一つ減り二つ減りで寂しかったのですが、今年の春には都市型シネコンのMOVIX京都の新館がオープンし、一挙に12スクリーンの映画施設が誕生します。また、3年前から商店街の事業として、新京極の映画施設を利用した事業「新京極映画祭」を開催し、私は実行委員長をやっています。好きな映画を扱うイベントで楽しいのですが、映画祭の作品選定にあたり、事前に様々な映画を観るようになりました。その中で、昨年の12月に出会ったのが、「こんばんは」です。ドキュメンタリー映画ですが画面に引き込まれ、終映後まるで1つのドラマを観終わったような気さえしました。機会があれば、ぜひご覧になられる事をお奨めします。

2005年2月

 舞台は東京都墨田区立文花中学校の夜間学級。山田洋次監督の映画『学校』のモデルの一人でもある見城慶和先生らが教壇に立っている。そこには様々な理由で『普通に学ぶ機会』を得られなかった人々が年齢・国籍に関係なく学んでいる。異年齢間の交流、教師と生徒の温かい人間関係、そして受験競争のための勉学ではなく、生きるために学ぶ真摯な姿。不思議なやさしさと温かさに包まれた、今まで出会ったことのないような学校があった----。<中略>撮影前に1年近く教室に同席して生徒、先生方と交流を重ね、理解と支持を得てからカメラを教室に持ち込みました。約一年半の撮影で二百数十時間の映像を記録し、映画『こんばんは』が生まれました。
(映画「こんばんは」の公式HPより転載)

 京都新聞夕刊に載った井上理砂子氏の記事で、一日だけ上映される事を知った。場所は、丸太町七本松の京都アスニー。昔、PTAの役員として通った京都市の施設だ。貸館扱いだからなのか?京都アスニーのHPには上映の告知が無く、入口にも立看板は無い。本当にやっているのかな?とホールにたどり着いたら、京都教職員組合の人が、教育基本法について演説の最中だった。ドキュメンタリー映画には、プロパガンダという役割があり、この日のような上映形態がままある。しかし、その役割を超えた作品も存在する。結論から言えば、「こんばんは」は何よりまず映画として楽しいものであり、その事が何よりのプロパガンダになっているのである。まず、上映時間の92分という長さである。この長さが、心地良い。約一年半という撮影期間を費やした森康行監督以下スタッフからすれば、あれもこれも残したいエピソードがあっただろうが、思い切って授業風景の長廻しをメインにした構成になっている。これで、観客も生徒の一人として授業を受けているような気分になる。そこでは、一つ一つ理解してもらおうとする先生の情熱に圧倒される。先生が教壇に立てば、コール&レスポンスが授業の基本となるが、絶えず生徒一人一人に問いかけながら授業が進む。さらに先生は、芸人に例えれば、笑わない客が居れば舞台から降りてくすぐろうかという構えなのだ。その情熱は、何処から来るのだろうか?すべては、生徒の学びたいという気持ちが無言であっても伝わって来るからなんだろう。「学校行ったら、お互いに助け合って教えてくれるんですよ。嬉しかったですね。」というお爺さんの生徒の言葉が印象に残る。子や孫の居る人、熟練した職人さん、社会人として立派にやってきた人達が皆、謙虚な気持ちで勉強しようとしている。勉強とは、本来人の心を素直にさせるものだったと、初めて気づいた。また、後半に登場する失語気味の少年が、先生やクラスの人に励まされ、心を少しづつ開いていく様子は、ドキュメンタリー映画だけに感動的である。最後に彼の声を聞けて良かったなというおもいである。物質的に貧しくて昔学校に行けなかった人も、精神的に貧しい今の学校に行かなかった人も、同じ視点で描かれている所に、この映画の意義がある。いや、それこそが夜間中学の持つ素晴らしさなんだろう。最後に、国に対して公立夜間中学の増設を強く求めている事が、エンドロールに書かれてあった。

映画「こんばんは」の公式HPは、以下のアドレスです。
http://konbanwa.web.infoseek.co.jp/